藤田の英語遍歴の自己紹介

藤田です。英語が『たった3ヶ月で英語がわかるようになった、誰でもできる簡単な方法』をご紹介しています。

この記事では、まじはじめに、手短に、わたくし藤田がいかに、もともと英語がものすごく苦手だったかを紹介させてください。

本当に、高校生のときは英語が赤点で留年寸前だったんです。それから過去にくらべて英語ができるようになるまでを短くまとめました。

 

英語どころか勉強が出来なかった高校時代

 
ブログ管理人の藤田といいます。私は高校生の頃、本当に”英語”が苦手でした。

ほんとに、学校の英語なんて、ちっとも面白くなくて、イヤでイヤで苦手意識だけでした。ここで、私の恥ずかしい過去をお話します。

私の最終学歴は高卒です。浦和東高校という真ん中よりも微妙に下な偏差値(47~49位でしょうか)の普通科の生徒で。ごく平凡な生徒でした。

私が高校生の頃は、英語の授業は、リーダーとグラマーに別れていました。先生も別です。

当時わたしは、その別れている、英語の両方の科目で赤点を取りまして、それにあわせて数学も赤点を取っていたんです。

3科目以上赤点があると留年するスリーアウト制で、高校生を留年させられる危機に直面しておりました。留年しそうな位パーでした。

スリーアウト留年の危機を迎えたある日、

先生に父親が呼び出されて、「藤田さん、摩利男くんはこのままでは留年ですよ」な~んて言われてたくらいです。

大学生ならともかく、高校で留年にリーチがかかるのなんて、ものすごいヤンキーか、なにか重いじゅうだいな病気で半年以上やすんでて登校日数が満たない事情の子など、事情がある生徒さんだけですよね。

私みたいに、5体満足で、健康に、毎日登校している生徒が、もし、ホントに学力不足で留年なんてしたら、前代未聞で、どえらい真性のパーという事です。パーで留年しそうな生徒って、僕くらいなもんでした。

担当の先生から・・・「追試が、あるので、それで規定点を取ると、赤点が帳消しされるので、なんとしても取って下さい。」という、ありがたいお言葉をいただく始末でした。

追試のための補講は何をしてたかと言うと、追試のテストの内容はおろか、答えの内容も、暗におしえてくれます。それを丸覚えすればよかったんですね。

で、結局、おかげさまで、いわゆる追試での規定点はとれまして、高校は卒業することができたのです。それくらいパーでボンクラな私だったわけです。

それから10年後

で、結論から言うと、

時がたって、10年たってある事をしたら、脳みそのスペックはまったくかわってないわけですが、英語がわかるようになりました。まあ、過去の自分と比べてということですけどね。

客観的にどれくらいかなー。ってTOEICテストを受けてみたら900点取れたのです。

その方法がこれでした

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